News 2004年4月3日朝日新聞(asahi.com)の be on Saturday
2004年4月3日、朝日新聞(asahi.com)の
be on Saturdayに掲載されました。 その内容です。
「あの日が出発点」
失った乳房を覆う下着、姉と作り始めた
小林光恵さん(53)と加藤ひとみさん(50)
乳がんで右の乳房を失った。7年前のことだ。手術のあとをやさしく覆う下着がほしい。
東京都練馬区の主婦加藤ひとみさん(50)=写真右=は99年、同じ思いを抱く女性のために下着の会社を作った。
最初のつらい経験は、自分の病ではなかった。10年前、夫の博和さんが膵臓(すいぞう)がんで急死した。
博和さんが亡くなったとき、娘はまだ小学校1年生と4年生。泣くのは一人きりになれる自分の車の中だけ。
歯をくいしばっていた。
その1年半後には、姉の小林光恵さん(53)=同左=が子宮がんで手術した。
ひとみさんは姉のことを、若い頃就職先も同じ航空会社にしたほど慕い、心の支えにしていた。
病院探しに奔走し、納得できる医師に巡りあって、幸い姉は回復した。
そしてさらに1年半後、がんはひとみさんをも襲ってきた。せき込んで胸に手を当てたとき右胸にしこりを感じたのだ。
乳房を残すことも可能と言われたが、切除を選んだ。
「夫の死を早めたのは、初期のがんだからと切除しなかったせいではないかと疑っていたし、
娘が小学校の卒業式を翌月に控えていたので、すっぱり取って治りたかった。迷いませんでした」
夫の思い出がしみついた東京から、母と光恵さんが住む長野県上田市へ引っ越し、やっとひと息ついた。
片側だけのブラジャーがあればいい。もともとブラジャーは窮屈で嫌いだったのに、
今は手術した右胸だけは常にカバーしていたいと思う。
肋骨(ろっこつ)が見える胸が何かにぶつかったらという不安もある。
でも、寝るとき左側は外したい。右と左を別々に作り、右側用にはパッドを入れるポケットをつけてみた。
自分に便利なものなら、求めている人がいるはず。がんの保険金で手元に残った1千万円を資金にした。
光恵さんのつてで下着メーカーが製造してくれることになり、会社「ブライトアイズ」を起こした。
ブラジャーは日米で特許も取った。
客の声から、温泉などで人目を気にしていることを知り、今度は胸全体を覆い、水にも入れるカバーを考えた。
水着も売り出した。ブラジャーが苦手なお年寄り向けに、胸の部分にパッドが入る肌着も作った。
患者会で話をしたり、病院にパンフレットを置いてもらったりして、全国に5千人の顧客ができた。
「私のために作ってくれたのね」と言われることが一番うれしいという。娘の大学進学を機に昨年、東京へ戻った。
「一日一日を大切に生きて、新しい商品を生み出し続けたい」(文・吉野園子、写真・宮島夕子)
[メモ]
■乳がんの治療
三井記念病院乳腺内分泌外科部長の西常博医師によると、いまは手術で乳房、胸筋、
リンパ節をすべて取ることはほとんどなくなった。加藤さんが受けた、乳房とリンパ節の切除が4割、
部分切除の乳房温存手術が6割という。再発防止に放射線や薬物療法を続ける。
三井記念病院では83年から600人以上が温存手術を受け、乳房内に再発した人は2%だ。
外国では超音波などで除去する方法も試みられている。早期発見のために、
月1回は自分で触ってみることを勧めている。
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